雑記<津波対策としての防潮堤を考える>

東日本大震災から7年経ちました。

3月11日に日本を襲った大津波は、地図を塗り替えるほどの、余りにも大きな爪痕を残し、間接死も含め約2万2000人の方が命を落としました。亡くなった方々には、ただただ冥福を祈るばかりです。また、傷跡は未だ完全には癒えず、今もまだ5万人以上の方が、仮設住宅や公営住宅等に避難を続けています。

地震が発生した当時、私は高校生でした。幸いにして日本海側に住んでいたため、体感した揺れはせいぜい震度3。「結構長い地震だな」としか思いませんでした。日本の反対側で何が起こっていたのか知ったのは、家に帰ってテレビを見せられてからでした。

そこに映し出されていたのは、正直に言って、CGとしか思えない光景でした。津波と、火の海と、津波の危険領域が示された日本地図とが繰り返し表示されていたのを、どこか映画でも見るような感覚で眺めていたことをよく覚えています。

当時、自衛隊に所属して岩手県にて救助活動に参加した方に話を伺ったことがあります。火災の被害にあった地域だったそうですが、「黒焦げになった遺体があった。人だとわからなかった」など、想像もできない話をいくつか聞きました。

7年で何が変わったか?

自然は時に、人間の想定なんて、軽々と、嘲笑うように越えていきます。

東日本大震災は、情報システム、医療、物資輸送、避難所運営等、日本の災害対策における多くの課題を浮き彫りにしましたが、特に衝撃的だったのは、「津波が防潮堤をあっさり越えて、街を飲み込んでいった」こと、その光景でしょう。津波に粉砕され、防潮堤は災害対策としての価値を疑われるようにもなりました。

あれから7年、防潮堤による津波対策はどのように変わったのでしょうか?

traverse 新建築学研究|京都大学 | エッセイ【牧紀男】
津波ゲーティッド・コミュニティー」
https://www.traverse-architecture.com/18-m1

こちらのエッセイは、まちを守る「壁」としての防潮堤についてのあり方を語ったエッセイです。津波対策を考える上で、今日はこのエッセイについて紹介したいと思います。

津波ゲーテッド・コミュニティ

エッセイについてお話する前に、「トラバース新建築学研究」についてご紹介を。トラバースは、京都大学院生の有志が集まって毎年発行されている、建築の専門誌です。様々な分野の第一人者へのインタビュー、学生による作品の紹介、京大教授のエッセイなどが掲載されています。今回紹介するのはトラバース最新号に掲載された、防災研究所で都市防災について研究している、牧紀男教授の記事。

彼は記事で、まちづくりにて「悪役」にされがちな、防潮堤の役割について再考しています。

日本では、洪水・高潮・津波といった水災害から「堤防」でまちを守るのが基本となっている。東北太平洋沖地震(M9)クラスの津波を防ぐためには、非常に高い防潮堤が必要となり(中略)東日本大震災以前の津波高を基準とした「低い防潮堤」でまちを守ることとなった。こういった方針転換に対して「もっと高い防潮堤を」という意見があっても良さそうであるが、それとは反対に「防潮堤が高すぎる」「堤防で海が見えなくなる」という意見が時に宮城県では大きい。(出典:牧紀男「津波ゲーテッド・コミュニティ」)

東日本大震災の後も、必ずしもより巨大な防潮堤が建設されたわけではありません。防潮堤建設には住民の合意が不可欠ですが、巨大津波を防ごうとすれば、巨額を投資してコンクリート製の万里の長城を築くこととなる。

図1 岩手県山田町の防潮堤(出典:同上)

心強い存在ではありますが、景観の面で見ていて気持ちの良いものではないかもしれない。移転した地域については「高台に移り住んだのに、防潮堤の意味があるのか?」と疑問視されることもあるでしょう。防潮堤の意味とは何なのでしょうか?

津波からまちを守るため各地に津波防災施設が建設されていった結果、三陸沿岸では河口部に水門、市街地には高い防潮堤、国道には過去の津波浸水地域示す警告板をといった津波防災景観とでも呼ぶべき風景が形成されることとなった。(出典:同上)

三陸沿岸はもともと、何十年かおきに、津波に襲われてきた地域です。特にチリ地震(1960)津波の後は、経済成長と土木技術の発達があり、三陸沿岸では数多くの防潮堤が建設されました。災害対策で有名だった田老町は実際に「万里の長城」と例えられた巨大な防潮堤(高さ10m)がありました(津波は防潮堤を乗り越え、木っ端微塵に破壊しましたが)し、譜代村は15mの水門でギネスに登録され、宮古市重茂半島の宮古湾に面した地域には、「谷筋を防潮堤で蓋をしたような景観」が形成されました。

そして、宮古市堀内地区は、津波を防ぐため集落が防潮堤で囲まれた地域。海側からは、防潮堤についている鉄扉付き穴だけが唯一の入り口。牧教授はこの地域を海外における、犯罪者の浸入を防止するため住宅地の周りを塀で囲み、入口に警備員を配した住宅地、「ゲーテッド・コミュニティ」になぞらえ「津波ゲーティッド・コミュニティーと呼び、「防災対策の一つの到達点」と評しています。

何故防潮堤が、いいイメージを持たれないのか?これについて牧教授は
1.本来時間をかけて議論した上ですべき防潮堤の整備が、復興対策として突然示され、議論に十分な時間がとれなかったこと
2.災施設を設けたら被害が発生しないことを当然とする防災対策に対する日本人の誤った理解
の2点を指摘。「自分で考えない・多様な選択肢を認めない・絶対的な安全性を求めるということが防災対策を行う上で最も良くないこと」とまとめました。

まとめ

津波のリスクとどうやって付き合っていくか?これは災害対策の永遠のテーマでしょう。宮城県の女川町のように、あえて防潮堤をつくらずに、町全体を嵩上げするという選択した事例もあります。

参考:AbemaTIMES「東日本大震災から6年 巨大防潮堤を「選んだ町」と「拒んだ町」、それぞれの今 」
https://abematimes.com/posts/2109847

全ての地域でそれができるわけではない。実際、地域ごとに対策はかなり色が異なるようです。

参考:毎日新聞「東日本大震災5年:防潮堤、備えはどこまで 」
https://mainichi.jp/articles/20160310/ddm/010/040/030000c

どのような対策を取るべきなのか?牧教授は防潮堤の意味について「防潮堤だけでまちを守ることはできないが、防潮堤は、同じ場所に留まりながらも財産も守るということを考えると唯一の選択肢となる」としました。しかし、そもそも危険な地域に留まるよりさっさと移り住むべきという考えもあります。

私たちは何を選ぶべきなのか?
・自分で考える
・多様な選択肢を認める
・絶対的な安全性を求めない
を旨として、改めて考えていきたいところです。